どうも皆さん、土居間(どいま)です。
いやいや、毎度(まいど)です。
破廉恥かつ具体的ではなく抽象的な僕です。
『破廉恥』
なんて漢字なんでしょう。
ってか、外語やなかったんですね…。
【破廉恥(はれんち)】
人として恥ずべきことを平気ですること。
まぁ、言わば『羞恥心』がゼロって事です。
恥ずかしさ。
いつからだろうか、薄れていったのは。
高校1年生の身体測定。
9割9分がトランクス姿の中、真っ白なブリーフを穿いて体重計に乗ったあの頃。
0.1割が僕だったなんて。
凄く恥ずかしいと思ったあの時代。
どちらかというと今では、周りが全員トランクスでもあえてブリーフ姿に挑んでも全くもって問題ナッシングな僕。
まぁ、実際は"BP"なんやけどね。
あぁぁぁちなみに"BP"ってボクサーパンツね。
でも些かブリ-フパンツってのも可。
年とともに、羞恥心が薄れていくのはいかなるものか。
自分スタイルを表に出す反面、社会からは軽蔑され…。
そんな日本は狭いのか広いのか。
羞恥心=プライド的なものかな?
じゃぁ、破廉恥な人はプライドがないんかって事もないし。
…。
この文章の先には何が待っているのか答えは見つからず。
また時だけが過ぎていく…。
…。
自分自身って何??
自分って何?
俺の生きるスタイルって??
生き方って??
さぁなんなんでしょうねホント。
自分は自分でしかなく、でもその自分がとある社会から認められたり認められなかったり。
そんな自分自身を持っていても社会から軽蔑されてる部分が、本当に自分スタイルとして持っておくべきなのか、それとも周りの意見を取り入れて修正するのが正しいのか。
修正した場合、その中には自分というものが自分というものではなくなり、周りまたは社会から作られた自分であったりもしたりもする。
では、その時の自分自身というのは、どこに存在するのか。
でも逆に考えると、修正した自分も自分であったりもする。
難しいねこう考えると。
頭が痛くなるから、この話はここまで!!
なんか哲学的な内容で終わって、後味悪いけど、そんな事気にしない気にしない。
だって俺B型やもん!
ではでは。





